👽音に甘える👽
言葉は1つの便利なアイテムです。
人間という動物の可能性をとんでもなく広げてくれる、夢の便利グッズです。
だから僕はときどきうっかり、言葉というものを信じすぎてしまいます。スマホ依存症ならぬアルコール依存症ならぬ言葉依存症です。
僕の体はある程度まだ僕の好きに使ってもいいけど、言葉という物はみんなも使うし、僕も使うからこそ初めて言葉として機能するのです。
ちょっと違うけど公共の公園とか道路とかそんな感じ。
僕の体に僕を投影して使う率が一番多いのは多分僕だけど、言葉は、一つの単語ですらそれぞれの人間の(残した言葉という意味ではこの世にいない人までも)教わってきた物、感受性、経験した事、イメージが投影されているので、同じ言葉を聞いても受けとるものが全く違っている可能性がとんでもなく高いのです。
おまけに人間は動物なので、言葉と同時進行で言葉以外で話す率も非常に高いです。
さらに言葉と言葉以外での表現の方向性が真逆であるという場合も多々あります。
言葉は優しくても目が怒っていたり。
本音と建前を使い分ける事を強く要求されるこの国では特に。
人間は思ってもいない事を言い続けたり、やり続けたりすると最後には壊れてしまいます。そういう風に出来ています。
けれどもみんなが常に言いたい事だけ言い、したい事だけしていたら多分世界の方が壊れてしまいます。
だからきっと人は世界も自分も守ってあげるために苦肉の策としてそういう方法をとるんだろうなあってよく思います。
僕はぼんやりしているとすぐうっかり、言葉を公共の公園じゃなくて、自分の家みたいに認識してしまうので、
あ....!そうじゃなかった.....って思い出す時にまるでずっと自分の母親だと思っていた人が赤の他人だったと知らされた時みたいな衝撃を受けて、言葉という物に対する信頼がしばらく極度に揺らいでしまいます。
そんな時、心にあるものを言葉を媒介しないで外に出す方法として『音』という選択肢もあるという事に気づきました。
ピアノのキーを一音ずつ押してみて自分の今の心の状態と一番近い、一番心地いい音を探してみる。
楽器の素養はなきに等しい僕なんですが、なんとなく並べていく事でちょっと曲っぽい物ができたりします。
音を一粒ずつ今の自分のためだけに、何かに取り憑かれたみたいに厳選して繋げた短い音は、その時の僕にとってふかふかの布団みたいに優しいです。
こんな感じでメロディを作ります。⬇︎